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SromashkA

製造番号の新情報

 講座第1回の質疑応答でご指摘のありました「オンライン ピアノ アトラス」というアプリ、やってみました。安城のピアノの製造番号「23707」を入力すると、製造年は確かに「1908〜09年」と出ます。

 この表示から推測すると、アプリのデータは1年ごとに一つの製造番号が書き込まれた表をもとにしているようです。これまでは10年間隔の表しか情報がありませんでしたから、この推測が正しければ精度は10倍です。これまでは10年均等割で「1905年」と考えてきましたが、ベッカー社は右肩上がりに生産出荷台数が伸びていたようなので、今回の数字のほうが現実的です。日本ではわからない情報が、確かにロシアにはあるようです。 

 当初の推測より3〜4年ほど新しいわけですが、1905年が日露戦争の年だったのに対して、1908年頃は日本がいよいよ大陸へ進出していく時期です。南満州鉄道はもともとロシアが敷いた鉄道で、沿線にはロシア人の住む町がたくさんありました。そこへ日本人が押し寄せていくわけです。安城のベッカーはこうした年にサンクトペテルブルクで作られました。

 もしかすると、ピアノはすぐにシベリア鉄道経由で満洲へもちこまれたのかもしれません。そして8〜9年後にはロシア革命(1917年)を迎えます。さらに大正12年(1922)には完成した安城高等女学校の講堂に置かれていました。革命後に持ち主が変わり、日本へやってくることになった、と考えると辻つまがあいそうです。元の持ち主(つまり最初の所有者)は、革命で満州を去ることになる人物、と想像が膨らみます。あとはこの推理を裏付ける証拠・・・。

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