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ピアノの生い立ち 2

ロシア製ピアノ

 

 

安城高女の開校と製造時期

 製造したのはロシアのピアノメーカーベッカー社です。製造番号から1908〜9年の製作とわかります(Online Piano Atlasによる)。安城高等女学校の開校は大正10年(1921)、講堂が完成するのは翌年なので、10年以上ピアノの方が古いのです。おそらく中古品で購入されたと考えられます。どのような経緯でロシアからやってきたのか、まだわかっていません。

 

 

幻のベッカー社

 ロシアのベッカー社は、1841年にサンクトペテルブルクで創業しました。日本ではほとんど知られていませんが、ロシア国内では早くから高い性能が評判になり、やがて国外の著名なピアニストであったリストやサン=サーンス、クララ・シューマンからも高く評価されるようになります。さらにオーストリアやデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王室にもピアノを納め、欧米各地で開かれたさまざまな博覧会でも数々の賞を受けました。ロシアの代表的な作曲家チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフが愛用したベッカー社のピアノは、現在もそれぞれの記念館で保管されています。しかし、第一次世界大戦が始まると生産が縮小され、ロシア革命(1917)の後には国有化によりベッカー社の歴史に終止符が打たれました。

 

 

ロシアの作曲家

 ベッカー社が操業していた19世紀半ばから20世紀初頭のロシアは、グリンカに始まり、チャイコフスキーやロシア五人組を経てラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフなどに至る、名だたる作曲家が次々に輩出される時期を迎えていました。ロシア音楽が急速に世界の注目を集めるようになる時期に、ロシア国内で広く普及していたのがベッカー社のピアノでした。

 

 

楽器としての価値

 このピアノの細部をみると、現在のピアノにかなり近いものながら、一部には古いピアノの特徴やベッカー社独自の構造・機構などがみられます。これらの特徴は、このピアノで聴くことのできる、こもり気味な柔らかな音色にも反映されているかのようです。また、鍵盤の反応やペダルの動作も現代のピアノとは異なり、それなりに工夫した弾き方が求められます。100年前の作曲家たちが、現代の楽器とは違うこのような性能=特徴のピアノで作曲し、当時の人々もこの音色で聴いていたことを思うと、このピアノに秘められた魅力ははかり知れません。

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