top of page
ピアノの生い立ち 1

南吉ピアノ

 

 

安城高等女学校のグランドピアノ

 このピアノは、もとは県立の安城高等女学校(安城高女)の講堂で使用されていました。この安城高女に昭和13年から18年まで務めていたのが、「ごんぎつね」などの童話作家として有名な新美南吉(本名:正八)です。

    南吉が安城と深いかかわりをもったこの5年足らずの期間は、教え子たちとの交流や安定した暮らしぶりを背景に、多くの作品を書き上げた充実した時期です。南吉の生活の舞台でもあった、その頃の安城高女を物語る数少ない遺品の一つが、このピアノなのです。

 

 

南吉とピアノ

 新美南吉がベートーヴェンなどの名曲を、蓄音機で好んで聴いていたことは、日記などからよく知られています。ショパンのピアノ曲はまわりに聴くのを勧めたこともあるようです。

    その南吉にとって、もっとも身近で音楽を生で聴くことができたのは、講堂にあったこのピアノの音です。音楽の担当教員がよくショパンの曲を弾いていたとか、南吉が譜めくりをしたという教え子の証言もあります。南吉が安城高等女学校に赴任したその年に詠んだ俳句「講堂に ピアノ鳴りやみ 秋の薔薇」に登場するのは、まさにこのピアノです。

 

講堂に ピアノ鳴りやみ 秋の薔薇

けどほさや ピアノのとどく 秋の薔薇

 (=気遠さや)

​新美南吉 1938

 

J_edited.jpg

▲ 安城高等女学校の講堂にて(卒業アルバムから)

 

その後の南吉ピアノ

 ピアノは講堂が建て替えられる昭和32年(1957)まで、女学校の後身である安城高等学校で使用されました。その後、安城市内の個人宅に引き取られ、昭和40年代の中ごろまでは弾かれていました。

 再びピアノが日の目を見るのは、新美南吉生誕100年に向けてさまざまな行事の準備が進められている頃でした。南吉ゆかりの安城高女を象徴する貴重な遺品として注目を集めるようになり、南吉生誕100年の平成25年に安城市が譲り受け修復が行われました。

 

 

市民映画

 ピアノが修復されている頃、南吉を題材にした市民映画の制作が進められ、平成27年に上映されました。そのストーリーで鍵になるのが修復された安城高女のグランドピアノ、つまりこの南吉ピアノでした。実物を先取りした設定でした。この映画のパンフレットで、ピアノメーカーのベッカー社について、英文音楽事典の翻訳ではじめて紹介されました。

 

 

南吉ピアノの今

 修復は1年8か月におよぶ大規模なものになりました。平成27年10月には安城市歴史博物館へ運び込まれ、翌月にはお披露目のコンサートが開かれました。その後平成29年にはオープン間近の中心市街地拠点施設アンフォーレへ移され、折に触れて南吉にちなんだコンサートで弾かれています。

bottom of page