昨日コンサートがありました。加藤希央さんの南吉ピアノと江頭摩耶さんの政吉ヴァイオリンのデュオに井上さつき先生のレクチャー付きという豪華な顔ぶれでした。
曲目はドリゴのセレナーデ、チャイコフスキー のアンダンテ・カンタタービレに始まり、鈴木鎮一(ヴァイオリン製作者の息子)の前奏と名古屋の子守唄、ドヴォルザークのユーモレスク、後半はパガニーニの24のカプリースから第21番、ショパンのワルツ第11番、シューマン のトロイメライ、最後に今年生誕250年を迎えたベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの第1楽章、アンコールでアロハオエでした。
加藤さんが曲間で紹介する南吉の日記の記述や、井上先生が最新のご著書『ピアノの近代史』で取り上げられている明治時代の楽器製造のお話もとても興味深いものでした。物理学者のアインシュタインが来日時にクロイツェルソナタの演奏を披露し、それを聴いた寺田寅彦がヴァイオリンを猛練習して同じ曲が弾けるようになった、というエピソードも紹介されました。
さて、前日修理から戻った南吉ピアノの音は・・・、とてもご機嫌でした。こちらの耳がそのように聴いてしまうからかもしれませんが、これまでで一番個性的、つまりこの楽器特有の響きが、よく聴こえる演奏でした。あたかもオルゴール のような箱なりのする響き(透明に響くのではなく、音が反響して混じり合うような)は、今日のピアノからは聴くことのできない味わいです。前日、加藤さんに伺ったところでは、鍵盤を弾く力加減やペダルの踏み加減を、このピアノの響き方に合わせて変えていて、それを生かしていくとテンポや歌い回しも自ずと変わってくるのだそうです。
今頃気がついたのですが、弦の振動を止めるためのダンパーが小さいとか、弦を叩くハンマーの形がやや尖り気味だとか、こうした細かな違いが音の響き方に直接影響しているようで、そうしたパーツと音色の因果関係がはっきりしてくると、さらに響きの良い音を引き出す弾き方がわかるのかもしれません。ペダルを踏んだ時と離した時では音の表情が大きく違うようです。力をかけすぎて響きが濁るようなところを避けなければならないようなところもあるそうです。ショパンでは、最新の研究による楽譜ではなく、この方がピアノに向いているというご判断で、昔使われていた楽譜(音の並びは同じだけれど細かな表記が異なり、ニュアンスが違ってくる。文章なら読点や改行、仮名表記が違うというような感じ)を使われました。こういうところに古い楽器の存在価値が最大限に生きてきます。
性能が良いとされる今日の楽器では再現できないものが、このピアノにはある、そんなことを強く実感したコンサートでした。
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